【1990年代】海部内閣発足以降の20世紀の日本
http://2chb.net/r/history2/1470794401/ 主題歌
K・A・I・F・U 海部さん
滅亡予言 煽られてた「地球が危ない!」
日本経済 天国から 地獄への道
悲劇の震災 テロもあった
悪い 悪い 悪いところも挙げろ
Wow wow wow wow 90’s
Wow wow wow wow 世紀末
語れよ J-POP 黄金時代を
Wow wow wow wow 90’s
Wow wow wow wow 世紀末
語れよ このスレで 大学の事も
大学と就職難も Wow wow wow
K・A・I・F・U 最初の総理は 海部さん 単にテレビメディアが、影響力のある人口の多い世代にピンポイントで的絞っただけだぞ
そうだね。
安室、浜崎、宇多田、モーニング娘、スピード、マックスなどの魅力的な若い女性歌手が多かった。
90年代後半は楽しい時代だった。
ニッポンの未来は♪ 世界がうらやむ♪ イエイ イエイ イエイ イエイwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>2
そうだね。
当時は人口が多い団塊ジュニア世代、70年代生まれの人間が10代、20代だったね。
人数が多かった。 J−POPなんてまったく馴染めなかった。
ズンシャカうざいだけ。
>>4
そうだね
もっと前はZARD、trf、広瀬香美、大黒摩季等もいたし
てかCDが一番売れてたのも90年代だったな 職にあぶれた連中が漫才に向かい、
いまや漫才は革命的な隆盛を誇っている。
>>9
たしかに。
テレビで活躍しているお笑い芸人は40代が多い。 この写真にグッとくるのは、きっと「尻好き」だけ。
★ お楽しみタイム
2020年東京オリンピックの泣ける歌
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
『東京ルーザー オリンピック』
↑
これで、ユーチューブ検索
きっと、泣けマス
(新宿、渋谷、上野、浅草、下北沢、池袋、銀座、原宿)
↑
以上8ヶ所の東京都内の地名が、歌の歌詞に登場します
「東京砂漠」「トーキョー迷子」以来の
東京≠テーマにした、歌謡曲でもあります
氷河期って言うけど、景気拡大縮小で人間の数や必要な物が変わる訳じゃない。
需要はコンスタントに存在してるんだ。
就職先が見つからなければ、創ればいい。
職は他人に与えてもらうものじゃない。
自分でつくればいい。
ちょっと前の日本では洋服も靴も注文する物だったんだよ。
色んな物が入って来た今、どんな物作るのかな?
>>7
どこでもガンガン流れる曲をわざわざCDで買ってまで、と思ったね当時
好きとか嫌いとか感じる前に、皆好きでしょ?って体でガンガン流して洗脳してくるような
いい曲でも聴くと嫌な思い出まで甦ると思うのよそういうの 給与に関する驚きの事実が明らかに!
世が空前の“売り手市場”に沸く中、どの世代も月収が軒並み増加。
しかし、アラフォー世代の給与だけがダウン。40代前半では、
5年前に比べて2万円以上下がっていたのだ。実はこの世代間格差、
就職したタイミングが大きく影響しているという。
収入が低く、結婚もままならない。生計を頼ってきた親世代が高齢化し、
共倒れの危機も…。アラフォー世代が直面する問題をとことん考える。
アラフォー・クライシス
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4079/index.html 一生懸命真面目に働いててもリストラされるなんてザラだった時代
最近嫌儲やびっぷらで凄い氷河期叩きやってたけどあれ何なんだ?最近流行ってるの?
J-POPとか呼ばれ出した枠組みが既に宣伝依存のゴミの集まりで、それ以前がポップスの黄金期だぞ。
これは世界的にそうなんだが。
>>9-10
テレビ局があれで人件費減らしてるってのを聞いてから漫才に
興味無くなったな。 ベビーブームで生まれた日本人が最繁殖して人口が増えないように
人口抑制を政策として選択したんだろ
問題は誰が(アメリカなのか、日本政府の官僚の誰なのか、自民党の誰なのか)
いつ始めたか(政策的に貧困世帯になるように誘導されているのは明白だが、いつから)
を解き明かすことだ
我々は毀損された人生の全てを賭けてその人物なり組織なりに復讐をしなければならない
今は企業が人を採用しないようになったから
漫才師増えるんかな
本物のボケツッコミってどこにもない気がするんだけど
氷河期世代が受け取るべき給与は、団塊&バブル世代が美味しく頂いていますw
バブル世代は大量入社だけあって不況の時のリストラは半端なかったけどな
しかも既に妻子がいる分、氷河期よりも状況厳しい
>>37
さすがに「おいしくいただきました」って言えないかもしれんね
自分の息子と娘から仕事を剥奪されるなんて誰も思わんだろうし
状況が変わって企業ははした金で苦しんでるだけだし
まあ金のない苦しみを(過去に)知っているからと言って
いまだに自慢しているのはあるね
戦後のモノがない時代はみじめだというのは分るけど
いまだに自慢するのはどうかと思うね
今の若い人は、若い時分から自分の境遇を口外しないように教育されてんのに
団塊は一生涯、自分の過去の不幸を自慢し続ける
これはあまりにも不公平だね たしか未来予測で、日本にある企業の70%くらいが倒産するとあったな。
今、コンビニにあるので興味あれば見てみるといい。
最寄りの店舗にたまたまおいてればあるよ
70%だったか思い出せないけど、かなり多いよ
タイトルも、未来予測の文字があるし
未来予測なんとかかんとか、タイトルついてるから
たぶん見つけやすい
団塊が、今の若者の金を奪っているという状態ではないかもしれんね
私たちの子供の世代がどうなるかも知らんからね
それと一緒
団塊にとって、自分の子がどうなるか、前はわからんかった
団塊の時代は幸運で、日本の好景気も知っていて、日本が明るくなったのを体験した。
団塊の悪いところは、状況がかわったことを理解しようとしないこと。
団塊、団塊ジュニアと進み、その子供あたりは、ちょうど私の世代で
前にちょっと書いたが
学校教育が悪化した時代でもあった。
本によれば、ちょうどこの時に、日本は新しくなるのをやめてしまった。
過去に戻そうとして、日本政府が政策を発表した。
それはおそらく2018年の今も続いている。
田中角栄とかが、いろいろやった後だからか、団塊など、国民には幸運な時代だった。
万博、好景気。
日本政府を操る人間にとっては、真逆の、苦しみの時代だったといっていい。
日本は変わりつつあったからだ。
この時代を終わらせる政策をやろうとするはずで、その一つが学校の指導方針の変更。
悪化した教育の結果、学校教育をすべて終わった人は、二度と自分からは勉強しなくなった。
仕事で必要など、迫られるとやる人は多い。
団塊の人は、日本社会で生きるのに全く役に立ちそうにない知識の本はほとんど読まない。
哲学、数学、経済学など、さまざまなジャンルの思想は読まない。
団塊、団塊ジュニア、私たちくらいの世代が、全然本を読まないで時代を理解せず
昔はどうだったと永遠に言い続ける。
そういう人たちが、子供の世代には文句を言わないで我慢しろという。
自分は過去のことをいつまでも気にして、挑戦しようとしない。
子供の世代には、何歳になっても挑戦しろなどという。
団塊と、他は、私の思う限り、時代が変わっていく頃だと思う。
団塊ジュニアになると、変わり始めるが、団塊の考えが浸透している。
私たちくらいになると、かなり変わってしまって、団塊の考えが崩れていく。
ちょうどこのころに、ノストラダムスの予言などが流行っている。
超常現象も随分流行った。
団塊ジュニアと、私たちで変わっていく最中だった。
現代日本史で言うと、戦後から、戦後じゃなくなるまでくらい。
戦後40年とかで「もう戦後ではない」と言われたらしいが、これは決定しないまま
私たちの世代にまで到達したと思う。
何が言いたいかというと、私たちから、あなたたちは、
団塊ジュニア以前と、ちょうど境目くらいになっている。
団塊ジュニアと私たちが、両方あるような感じで、両方から疎んじられる世代になる。
あなたたちは、私たち以降なので、団塊ジュニアまでの考え方に逆らう時代になるw
団塊ジュニアは私たちにかわりはじめるころだが、団塊と似た考え方とみていい。
団塊の仲間に入れてもらえない始まりだろう。おそらく。
それが悪化したのが私たちの世代になる。
その次がみなさんで、ちょうど生まれてくる子供の性格が変わった。
子供が生まれてくるときの性格は、定期的に入れ替わっているという。
具体的にどうなのかはよくわからないから、おおざっぱになるが、
言えばわかる性格と、言ってもわからない性格といったところか。
私の親くらいが、比較的素直に従うほうで、「寅さん」の時代あたりになって
比較的素直に従う時代で、昔の考え方にすっかり染まっているんだけど
当時は時代のため、不安定が始まっていて、寅さんのようなアウトローが出てくることになった。
これを「さくら」たちの家族が嘆くんだが、この家族も、新時代の変化にさらされ、日本国中が戸惑っていた。
この人たちが、2018年の今も、同じ考え方でいようとしている。
その時代は続けられるものではなく、私たち以降のみなさんがでてくる。
素直に言うことを聞かない性格とはいったが、悪人というわけじゃなく
変化をすんなり受け入れられる可能性が高い人が、なぜか多く生まれてくる。
学校のスポーツ系クラブ活動で、部員の指導パターンが
優しい指導、厳しい指導が入れ替わっているらしいが、これとそっくりなのである。
なぜか何種類かの性格パターンが、定期的に入れ替わって、赤ちゃんが誕生している。
これは本当に神秘である。
このため、団塊がどんなに過去にひきこもろうとしても、時代が許さないわけである。
私の直感でしかないが、一人の人間の寿命が100年とすると
うまれてくる子供の性格が4回ほど変わるんじゃないかと思う。
そして、生まれてくる子供の性格が変わる少し前に、早めに
これまでと違う性格の子が生まれてくることがある。
こういう子が一人だけ違うわけである。
日本では一人だけ違うのは犯罪並みに嫌われるので、一人も苦労するが
周りも苦労したくないので一人を排除するのである。
ジェネレーションギャップ並みのギャップが一世代の中で発生する。
この一人は、住んでいる地域に理解者はほとんどいないはずである。
私のことですまないが、私は地域で3番目に変人かもしれない人に理解されなかったことがある。
確認はしてない。
地域で2番目に変人は私である。
1番目はクラスメートのあの男子生徒で、名前は思い出せるが、さすがにネットでは明かせない。
私が済んでいる地域で2番目に変人と言われて「失敬な」と思えないほど非常識だったため、
本当にそうだったんだろうが、ちょっと失敬ではないかw
あとは、団塊の世代は、異質な人に免疫はない。
もし、家族で子供のほうが異質な性格だとわかったら悲惨である。
今の時代に人気の、親として失格の人が子育てに失敗するようなことが起きる。
結論から言えば、異質ならゼロから考えてれば済む話だが、
異質な人に慣れていない団塊にそれは不可能である。
異質な人を受け入れられない人間など、若者の考え方を受け入れられるほど大人ではない。
自分が理解されることばかり期待して、人を理解しようとしてもできない。
時代や心、世代でギャップが生まれて、変わりすぎた。
団塊の世代、生まれてくる子供、孫が後で変人に育つなど考えられなかっただろうw
そういう人が、今になって「子供たちの収入をおいしくいただきました」とは言わないと思う。
今はじっぷらなどで、冗談をいっぱい見ているが、古い時代の人から見たら不謹慎に見えているはずである。
楽しむことを知らないくせに、他人が冗談を言うとふざけているというわけだ。
楽しむことと、悪ふざけの違いも分からない程、真面目くさっている。
時代が変わっているし、未来の我が子がどうなるかなんて知らないから
我が子の収入を横取りしていると思う人は少ないだろう(いるんかいw)
それだけを言うつもりだったが、子供と大人と老人というものは理解しあおうとしない。
「下の心、上知らず」
「親の心、子知らず」をアレンジしたのが本当だろう。
「親の心、子知らず」は、子の心を知らない親の言うことである。
お互いに、自分は相手のことをおもんぱかっていると思っていて
相手はないがしろにされていると思っている。
必ずと言っていいほど、自分が思いやっても、相手からは思いやられていないと思ってしまう。
これは「他人」というものがあるから出てくる悩みである。
あなたは他人ではない、他人はあなたではない。
わかりにくいだけであって、よく考えて相手を観察してみれば、何かわかるはずである。
親しい人間であっても、家族であっても、他人に気を使って
ほどよい距離を保っておつきあいするのは、みんな同じである。
家族の体は、たとえ自分から派生して生まれたとしても、もう自分のものではない、家族のモノである。
よく勘違いするのが、生まれてきたからと言って、自分とすべて同じだと思うこと。
魂というものがどういうものか、よく考えれば、同じだと思うはずがない。
それは、まさに他人と言っていいほどの、違いがあるのである。
そのことに一日も早く気付き、程よい距離を保って、家族とも他人ともお付き合いできるようになってほしいものだ。
そういうことを考えてしまって、ついつい書いてしまった。
団塊、団塊ジュニア、私たちくらいの人たち、ちょっと前の人たちは、ほとんど本を読まないが
もっと「人間とはどういう存在か」を知るべきだろう。
家族がどんなに近い存在でも、自分とは別の魂なのだから
「家族と言えども所詮は他人」
「剣客商売」秋山小平
おわり
>>10
トップクラスの方除いたらわしの方がおもろい自信あるわ 消費者として利用されたけれど、雇用者にはされなかったという差別
よかったわけじゃなく、利用されただけで悪かったんだよ
人生六十年超でこの一年が最大の音楽浸け歌謡曲三昧してるよ
来年再来年はもっともっとだ!
>>55
其れは違うと思います。
昔の日経ビジネスと言う雑誌の
インタビューで
FAST RETAILING(ユニクロ)や
良品計画(無印良品)の経営陣の方が
「我々は団塊ジュニアを主要顧客層として
商品開発して行きます。」
と発言して居ました。
団塊ジュニアの世代は既に中年に
成って居たにも関わらずです。
是は詰まり、選り若い世代は
一学年当たりの人口が少なく、
消費者としても魅力に乏しいと
判断為れた事を意味します。
ですので少なくとも消費者としては
評価為れて居た丈、増しだったのです。